平成30年10月4日
「高校教育と部活動」
■高校生の思い
中学までの義務教育を終え、98%以上の生徒が高校に進学する現在、自立した社会人として幸せな人生を送るために、生徒たちは、いったいどんな高校時代を過ごせばよいのだろうか。高校生の多くは義務教育を終えたことを自覚し、中学生とは違う自分にならなければならないと感じる。少し大人に近づいたのだから、「落ち着き」を持とうと意識する。中には、その気持ちが空回りして、自分をコントロールできない生徒もいるが、誰もが「大人」に近づきたいのである。そんな高校時代に生徒たちが最も取り組むべきことは何だろうか。
■高校時代にすべきこと
将来、幸せな社会人になるために、高校生がすべきことは、「学び、身につけ、それを教えること」である。授業であれ部活動であれ、多くの生徒は新しい環境の中、素直に教わろうとする。なぜなら、教わるために高校進学を選んだからである。知らなかったことを知る、できなかったことができるようになることは、どの高校生にとっても楽しい。そして、学び、身につけたことを誰かに教えることで、生徒たちは大きく成長する。教えることで学びも深まる。高校時代にこの「学び、身につけ、教える」というサイクルを経験することが、将来のために何よりも大切なことである。
■部活動の効用
「ブラック部活」などと言われてはいるが、前述のサイクルを効果的に経験できるのが部活動である。部活動の先輩から知識や技術、心構えなどを学び、身につけるために能動的に練習する。そして1年後には、後輩たちにそれを教えなければならない。教えることを通して、相手に伝わりやすい教授法を探る。試行錯誤を繰り返すことで、教授法に磨きがかかる。社会で最も必要とされている「コミュニケーション能力」が自然と身につく仕組みである。将来出て行かなければならない社会では、当たり前のようにこのサイクルが繰り返される。そうであるなら、高校時代にこのサイクルを経験させないことこそ「もったない」のではないだろうか。
■これからの部活動
第100回を迎えた「夏の甲子園大会」の運営でも賛否が分かれた。今年の猛暑は「災害」とも言われる中、記念大会として大々的に行われた。この暑さの中で、足を痙攣させる選手も複数出た。決勝まで記念大会にふさわしい熱戦が繰り広げられ幕を閉じたが、一方で、投手の球数制限や大会の実施時期など、多くの課題が投げかけられた大会でもあった。これからの部活動はどうあるべきだろうか。部活動に頼らずとも、授業や学校行事を通して、「学び、身につけ、教える」というサイクルは、もちろん経験できる。しかし部活動を学校から切り離したら、経験できる機会が大幅に減ることになる。学校教育の一環として行われている部活動の目的は「勝つこと」「入賞すること」ではない。このことを指導者はしっかりと認識すべきであり、保護者も決して忘れてはならない。高校生が一生懸命に取り組む姿は、それだけで周囲を感動させる。だから周囲の大人たちの応援にも力が入る。生徒たちが「勝つこと」「入賞すること」を目標にすることは当然のことである。しかし指導者や保護者、周囲の大人たちが、部活動の本当の目的を見失ってはならない。
■高校教育と部活動
ここ数年、アクティブ・ラーニングが、授業形態の主流になりつつあるが、部活動では随分前から実践されてきた。つまり授業が部活動に追いつこうとしているのである。「働き方改革」が論議される中、部活動を地域で実施する方向性が模索されているが、あくまでも部活動は学校教育の一環である。部活動があるから、高校には「太い縦軸」ができる。学校は部活動の真の目的を再確認し、独自の改革を実施するべきではないだろうか。それぞれの学校にできることを見極め、地域や中学生に、その学校の独自性をアピールする。一生を見通しても、一つのことに打ち込める時間はそう多くはない。生徒が置かれた環境は様々かもしれないが、その状況を受けとめて、自分自身にできる最善を尽くす。この経験が、将来の糧になるのではないだろうか。
中学までの義務教育を終え、98%以上の生徒が高校に進学する現在、自立した社会人として幸せな人生を送るために、生徒たちは、いったいどんな高校時代を過ごせばよいのだろうか。高校生の多くは義務教育を終えたことを自覚し、中学生とは違う自分にならなければならないと感じる。少し大人に近づいたのだから、「落ち着き」を持とうと意識する。中には、その気持ちが空回りして、自分をコントロールできない生徒もいるが、誰もが「大人」に近づきたいのである。そんな高校時代に生徒たちが最も取り組むべきことは何だろうか。
■高校時代にすべきこと
将来、幸せな社会人になるために、高校生がすべきことは、「学び、身につけ、それを教えること」である。授業であれ部活動であれ、多くの生徒は新しい環境の中、素直に教わろうとする。なぜなら、教わるために高校進学を選んだからである。知らなかったことを知る、できなかったことができるようになることは、どの高校生にとっても楽しい。そして、学び、身につけたことを誰かに教えることで、生徒たちは大きく成長する。教えることで学びも深まる。高校時代にこの「学び、身につけ、教える」というサイクルを経験することが、将来のために何よりも大切なことである。
■部活動の効用
「ブラック部活」などと言われてはいるが、前述のサイクルを効果的に経験できるのが部活動である。部活動の先輩から知識や技術、心構えなどを学び、身につけるために能動的に練習する。そして1年後には、後輩たちにそれを教えなければならない。教えることを通して、相手に伝わりやすい教授法を探る。試行錯誤を繰り返すことで、教授法に磨きがかかる。社会で最も必要とされている「コミュニケーション能力」が自然と身につく仕組みである。将来出て行かなければならない社会では、当たり前のようにこのサイクルが繰り返される。そうであるなら、高校時代にこのサイクルを経験させないことこそ「もったない」のではないだろうか。
■これからの部活動
第100回を迎えた「夏の甲子園大会」の運営でも賛否が分かれた。今年の猛暑は「災害」とも言われる中、記念大会として大々的に行われた。この暑さの中で、足を痙攣させる選手も複数出た。決勝まで記念大会にふさわしい熱戦が繰り広げられ幕を閉じたが、一方で、投手の球数制限や大会の実施時期など、多くの課題が投げかけられた大会でもあった。これからの部活動はどうあるべきだろうか。部活動に頼らずとも、授業や学校行事を通して、「学び、身につけ、教える」というサイクルは、もちろん経験できる。しかし部活動を学校から切り離したら、経験できる機会が大幅に減ることになる。学校教育の一環として行われている部活動の目的は「勝つこと」「入賞すること」ではない。このことを指導者はしっかりと認識すべきであり、保護者も決して忘れてはならない。高校生が一生懸命に取り組む姿は、それだけで周囲を感動させる。だから周囲の大人たちの応援にも力が入る。生徒たちが「勝つこと」「入賞すること」を目標にすることは当然のことである。しかし指導者や保護者、周囲の大人たちが、部活動の本当の目的を見失ってはならない。
■高校教育と部活動
ここ数年、アクティブ・ラーニングが、授業形態の主流になりつつあるが、部活動では随分前から実践されてきた。つまり授業が部活動に追いつこうとしているのである。「働き方改革」が論議される中、部活動を地域で実施する方向性が模索されているが、あくまでも部活動は学校教育の一環である。部活動があるから、高校には「太い縦軸」ができる。学校は部活動の真の目的を再確認し、独自の改革を実施するべきではないだろうか。それぞれの学校にできることを見極め、地域や中学生に、その学校の独自性をアピールする。一生を見通しても、一つのことに打ち込める時間はそう多くはない。生徒が置かれた環境は様々かもしれないが、その状況を受けとめて、自分自身にできる最善を尽くす。この経験が、将来の糧になるのではないだろうか。
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