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私たちの主張

Opinion

平成26年12月1日

高校日本史必修化に向けて



文科省が日本史必修化を検討

下村博文文部科学大臣は11月20日、学習指導要領の全面改訂について、中央教育審議会に諮問した。高校教育に関する内容については日本史の必修化が重要テーマの一つとなっている。グローバル化に対応するためには世界史とともに自国の歴史を理解しておくことが求められる中、現在の日本の若者たちが自国の歴史をあまりにも知らないことが、その背景となっている。現行の学習指導要領では、高校においては世界史が必修科目で、日本史と地理は選択科目となっているので、高校生の何割かは日本史の授業を受けない。こうした問題を踏まえて、東京都と神奈川県の公立高校では、すでに日本史の必修化が行われており、国もその方向に向けて動き始めた。

日本史必修化のあり方

現行の世界史必修の形態に対して、日本史必修をいかに組み込んでいくのか。世界史とともに日本史を必修とすることは、限られた授業時数の中では困難な問題である。報道によると検討されている案としては、①日本史を必修として世界史と地理を選択科目とする、②日本史と世界史の統合科目を新設し必修とする、③日本史・世界史・地理を統合して一つの科目とする、などが挙がっている。
しかし、①については、現在、日本史の授業を受けた者でも知識が定着していないケースは多く、必修化によって効果が上がるのかは疑問である。授業では時間がなくて近現代史をきちんと学んでいないとの指摘もあるが、かつてと異なり現在は大学入試で戦後史も多く出題されることもあり、ほとんどの高校で授業において戦後まで扱っている。学ばないから知識がないのではない。たとえ日本史を受験科目として必死に学習しても、大学入試が終わって目的を果たすと、多くを忘れてしまっているのである。
では、②や③のように、日本史と世界史等を統合させて新たな科目を設定する案はどうか。有識者で構成されている日本学術会議の高校歴史教育に関する分科会も、従来の日本史、世界史とは別に日本史と世界史を統合した「歴史基礎」の新設を提言している。しかし、これも現在の世界史必修の状態と大きくは変わらない。現行の世界史でも近現代史においては日本に関する内容もある程度扱っているからだ。日清・日露戦争、台湾や朝鮮の支配、太平洋戦争についても一通り学習しているはずだが、定着していないというのであれば、統合科目の中で日本史の内容の割合を単純に増やすだけでは大きな効果は望めない。

日本史必修化の目的

まず、日本史必修化の目的を明確にする必要がある。日本史必修化の目的は単なる知識の定着ではなく、学習指導要領の歴史科目の共通の目標である「国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う 」ためでなければならない。また、学んだことが国民としての自覚・資質につながれば自然と知識も定着するはずだ。すなわち、日本史を必修化するにせよ、統合により新科目を作るにせよ、伝統文化や領土、世界や社会に貢献した日本人の功績等、国民としての誇りやアイデンティティーにつながる事項に重点を置くことが大切なのである。
必修化となれば、各校における日本史の授業数が増加するため、地理や世界史を専門とする教師が日本史の授業を担当するケースが増えるであろう。こうした教師にとっては、教科書は授業の大きな指針となる。現在の日本史教科書は自虐史観的記述が多いものもあり、このような教科書のままで必修化すれば、国民としての自覚を高めるどころか弊害が生まれるだけである。
自国に誇りを持たせる内容については、歴史教育に特定の価値を持ち込んではならないとの批判が当然予想される。もちろん、一方的な価値基準とならぬよう配慮は必要であり、教科書に様々な見解を記すことも考えられるが、その際にも日本としての立場を明記しなければならない。国際社会で自国の立場を主張できなければ、主体的に生きる日本国民の育成は為し得ないのである。

日本史に国史としての魂を

国語は教科名が「日本語」ではなく「国語」であるのに対し、歴史は「国史」ではなく「日本史」となっている。日本史や日本語の呼称は世界や各地域、各国に対して相対的に捉えたものであり、国語、国史には自国としての自覚・意識が根底にある。語句はさておき、現在の日本史は、教科書に「日本の良さ」さえも記されていないなど、あまりにも自国の歴史としての意識を欠いている。今後は学習指導要領における科目の目標の設定において、国史としての明確な理念が示されることを期待したい。そして、その目標の具現化につながる教科書の内容、そして教師の力量が何よりも求められるのである。
繰り返しになるが、単に日本史を必修化しても、歴史に関する知識は定着しないし、国民としての自覚が高まるものでもない。必修化した日本史にいかに国史としての魂を込めるかである。もちろん、最後にその魂を込めるのが教師の役割である。