福岡教育連盟
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外国人参政権問題

 ―センター試験出題から問われるもの―

□センター試験の誤った設問
 今年の「大学入試センター試験」の現代社会の問題で、日本における永住外国人参政権に関する不適切な設問が出題された(第一問・設問三)。
 設問は、日本における参政権に関する記述として適当でないものを選択せよというものであるが、その中に「最高裁判所は、外国人のうちの永住者等に対して、地方選挙の選挙権を法律で付与することは、憲法上禁止されていないとしている。」という選択肢が出題された。
 わが国の憲法上永住外国人には参政権が付与されていないことから、これを正解と解釈するのが当然である。しかし大学入試センターはこれを正解でない、つまりこの記述は誤りがないとした。このことに対して大きな疑義が生じている。

□「傍論」が参政権付与の根拠
 この選択肢の記述は、平成七年二月二十八日の永住外国人地方選挙権訴訟における最高裁判決の内容についてのものである。訴訟の判決文は、本論で「憲法九十三条二項にいう『住民』とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。」と述べ、憲法によって参政権は日本人固有の権利であることを保障し、外国人に地方選挙参政権を付与することを禁止した。よってこの選択肢の内容は事実ではないと判断できるのである。
 ところがこの判決文の「傍論」では「法律上地方自治体の長および議会の議員等に対する選挙権を付与する措置は憲法上禁止されない。」と述べられ、これがあたかも判決本論であるような解釈がされており、今回その傍論がこの選択肢の内容を事実であるとする根拠となっているのである。
 そもそも傍論とは判決と直接関係のない裁判所の意見表明であり、何ら判例としての拘束力を持たないものである。判決ではない傍論の部分を判決の内容であるが如く取り上げ、事実誤認の設問を出題したことが問題なのである。

□外国人参政権問題出題の意図
 さらにこの傍論に関しては、判決に携わり、傍論を表明した当時の最高裁判事が「(傍論は)在日韓国・朝鮮人をなだめる意味があり、政治的配慮があった。」と明言(二月十九日付産経新聞)しており、問題のある内容なのである。
 また昨夏の政権交代以来、この永住外国人参政権付与がしばしば問題になっていたにも関わらず、なぜ検討の過程でこの選択肢がそのまま生き残ったのか不思議でならない。日本における参政権に関して考えさせるのならば、何もこの手の選択肢を敢えて出題する必要はないはずである。社会的な影響が大きいセンター試験を利用し、法案の定着を図ろうとする政治的意図のもとに作成されているのではないかと疑念を抱かれても仕方がない。

□教科書に掲載されない設問
 大学入試センターは当設問について「この最高裁判決は多くの教科書で言及されている。」と述べているが、「新しい教科書をつくる会」の独自の調査によると、当設問に対応する記述がある教科書は十七種類のうち三十五%の六種類に過ぎないという結果が出されている。教科書に準拠して作成されているはずのセンター試験の問題が、特定の教科書しか掲載されていない事項を出題することは極めて不適切であるし、使用する教科書によって受験生に有利不利が出るというのも不公平であり、許されないことである。
 実は、外国人参政権に関する最高裁判決については、昨年のセンター試験でも同じ現代社会の問題に選択肢として出題されている(第五問・設問七)。教科書に掲載されていない問題を重ねて出題することについて、何らかの意図を感じざるを得ない。
 私どもは今後もこのような偏った不適切な設問が出題されないよう声を上げていくとともに、正しい知識を持った受験生が不利を被ることのないよう訴えていきたい。

□今問われる大局的な国家観と歴史観
 永住外国人参政権付与法案はさまざまな問題を抱え、国柄を脅かし、国益を損ねかねない危険な法案である。麻生渡福岡県知事は、先の県議会での答弁でこの法案について「妥当ではない」との考えを示し、「国民は参政権を持つとともに、国の繁栄のために努力する責務がある。この原則は国を運営するもっとも重要な原理だ」と述べ、参政権が日本国民にあると定める憲法に言及した。知事の認識は極めて正当である。「国際化」の美名のもとで、わが国の国家としての存在が脅かされてはならない。
 福岡教育連盟の綱領にあるように、私たち教師は、歴史と伝統、文化の継承者として、わが国の将来への責任を果たす必要がある。今まさに私たち一人一人の大局的な国家観、歴史観が問われており、私たちが逃避できない重要な局面にあることを、しっかりと認識するべきである。